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麹菌とは?日本の食文化を支える麹菌のスゴさと発酵について

平松サリー(科学する料理研究家・ライター)

麹

改めて「発酵」を基礎から振り返ってみる新シリーズ記事をお届けします。
そのテーマは、「科学的」に。……とは言っても、もちろん難しいことではなく、科学的に、でも身近に、お伝えしていきます。そんな解説をしてくれるのは、食・科学ライターの平松 サリーさん。平松さんは、京都大学農学部で学び、今は食と科学を専門として、著述活動を続けていらっしゃいます。
第2回のテーマは、「麹菌」。私たちが普段何気なく口にするものの多くに関わっている麹菌について解説します。

平松サリー(科学する料理研究家・ライター)

京都大学農学部卒業、京都大学大学院農学研究科修士課程修了、平成22年度 京都大学総長賞受賞。京都大学農学部で遺伝学やタンパク質工学、バイオ技術を中心に学ぶ。2011年よりライター、科学する料理研究家として本格的に活動を開始。「科学をわかりやすく楽しく、より身近に」をモットーに、執筆や企画・監修など幅広く手がける。著書に『「おいしい」を科学して、レシピにしました。』(サンマーク出版)、『おもしろい! 料理の科学』(講談社)。

日本の代表的なお酒である清酒と焼酎、そして和食に欠かすことのできない醤油、味噌、みりん、お酢といった調味料。これらに共通しているものはなんでしょうか。それは、麹菌が関わる発酵醸造食品であるということです。今回は、この麹菌について紹介しましょう。

酵素の力で味や香りを生み出す

麹菌とはアスペルギルス属というグループに属するカビで、その中でも特に「麹」を作るのに使われるものを指します。麹とは発酵に使うカビを、米や麦、大豆などの穀物に植え付け生育させたもののこと。例えば、日本酒には蒸したお米に麹菌を繁殖させた米麹が原料として使われていますし、醤油には炒った小麦と蒸した大豆に麹菌を植え付けた醤油麹が使われています。なお、日本では麹作りといえば麹菌ですが、海外ではクモノスカビやケカビなど、他の種類のカビが使われています。

アスペルギルス属の菌はデンプンやタンパク質といった大きな分子を分解する酵素をよく作り、作った酵素を細胞の外に分泌するという特徴があるため、米や麦、大豆などの穀物にこのカビを働かせると、これらに豊富に含まれるデンプンやタンパク質を分解して糖やアミノ酸を作り出します。デンプンやタンパク質などの大きい分子は味がしませんが、これを小さく分解して糖やアミノ酸にすると、舌で甘味やうま味として感じられるようになります。また、麹菌が作り出した糖を原料に、酵母や乳酸菌などの他の微生物が働くことで、香りや酸味のもとになる物質が作られます。大豆や小麦を舐めてもあまりはっきりとした味や香りはありませんが、これらから作られる醤油や味噌には豊かな味わいがあるのはこのためです。また糖は、酵母が作るアルコールの材料にもなります。

麹菌によって作られるのは味や香りだけではありません。麹菌が増殖する際にはビタミン類も多く作られ、酵母のアルコール発酵を助けます。特にビタミンB群が多く、米麹に米と水を加えて作られる甘酒は、ブドウ糖や麦芽糖などの糖分とビタミンB群を豊富に含むことから「飲む点滴」とも言われています。

麹

日本酒や醤油を造る黄麹菌

麹菌の代表格はアスペルギルス・オリゼー(Aspergillus oryzae、以下A・オリゼー)という菌で、胞子の色が黄色から黄緑色なので黄麹菌と呼ばれています。デンプン分解酵素を生産する力が強く、アルコール発酵に必要な糖を作り出すのに適しているため、清酒造りにぴったりのカビです。

前回の記事の中で、アジアの酒造りにはカビが用いられるという話をしましたが、A・オリゼーを酒造りに活用しているのは日本だけ。他の国々では主にリゾープス属(クモノスカビ)やムコール属(ケカビ)という種類のカビが使われています。リゾープス属のカビは生育が早く、条件が整っていれば他の雑菌に負けることなく増殖するため、穀物の粉を生のまま練って団子状またはレンガ状に固めて室(むろ)に置いておくだけで麹ができあがります。一方、麹菌はあまり生育が早くなく、雑菌が混入するとより勢いのある他の菌に負けてしまいます。そのため、自然発生での発酵が難しく、穀物を一度蒸して殺菌してから純粋培養した麹菌を植える必要があります。

そこでいつの頃からか酒造りに適したカビを培養する「種麹屋」という専門家集団が現れ、麹の種となる「種麹」を酒蔵に提供するようになりました。室町時代の記録には種麹屋の組合である種麹座の存在が記録に残っています。ドイツの科学者ロベルト・コッホが寒天培地を用いた培養法を考案したのが1870年代のこと。それよりもずっと早い14世紀の日本で、もちろん顕微鏡などはなかった時代に、非常に純度の高い麹菌を培養し流通させていたというのは驚くべきことです。

種麹屋は用途や目的に合わせて様々な菌株(きんかぶ)の麹菌を開発し、蔵に提供してきました。菌株とは野菜でいう品種のようなもので、同じ種類の微生物でも菌株ごとに様々な特徴や個性があります。例えばA・オリゼーの中には、デンプン分解酵素を生産する力はそれほどではないものの、タンパク質分解酵素を生産する力がとても強い株があります。この株は、大豆のタンパク質を分解してうま味のもととなるアミノ酸を作るのに役立つため醤油の醸造に用いられます。また、味噌の醸造には、デンプン分解酵素とタンパク質分解酵素の両方がよく働くことが求められるため、清酒用の麹菌と醤油用の麹菌の中間くらいの性質を持つ株が使われます。

醤油造りにはA・オリゼーの他にアスペルギルス・ソーヤ(Aspergillus sojae、以下A・ソーヤ)という種類の麹菌が使われることもあります。A・オリゼーと同じくアスペルギルス属のカビで、タンパク質分解酵素を多く生産するなど醤油造りに適した性質を持ちます。これも麹菌の仲間に含まれます。

微生物の相関図

おいしさを引き出す調味料

麹菌を使った発酵調味料といえば、塩麹も近年話題となり随分普及しました。米麹に食塩と水を加え1週間ほど熟成させたもので、食塩の塩味と、麹菌が米のデンプンを分解してできた糖の甘味による甘しょっぱい味の調味料です。

塩麹の役割はただ甘味や塩味をつけるだけではありません。麹菌が作るデンプン分解酵素やタンパク質分解酵素が豊富に含まれているので、塩麹に食材を漬け込むことで、食材に含まれるデンプンやタンパク質が分解され、糖の甘味やアミノ酸のうま味を引き出すことができます。特に、肉や魚などタンパク質が豊富な食材に使用すると、塩麹そのものにはあまり多くないアミノ酸のうま味が加わるので効果的です。

焼酎には黒麹菌と白麹菌

清酒に黄麹菌が用いられるのに対して、焼酎造りには黒麹菌や白麹菌が用いられます。黒麹菌は名前の通り胞子が黒い麹菌で、沖縄の伝統的なお酒である泡盛の麹から発見されました。学名は琉球(ルーチュー)にちなんでアスペルギルス・ルチュエンシス(Aspergillus luchuensis)と名付けられています。

明治時代までは焼酎造りにも清酒と同じ黄麹菌が使われてきましたが、黄麹菌による酒造りは温度管理が難しく、発酵時の温度が高いと乳酸菌の一種が酵母の働きを邪魔して台無しにしてしまう「腐造」という現象がしばしば起こりました。腐造は、一度起こると酒造りが何年もできなくなることがあるほど深刻な問題で、蔵元に大きな損害を与え、腐造によって蔵や酒屋が廃業に追い込まれることもありました。そのため、清酒の仕込みは冬の厳寒期に行われてきたのですが、温暖な九州南部では冬でも比較的気温が高いため、現在のように空調や冷蔵技術がない時代には腐造を防ぐことが困難でした。

そこで着目されたのが高温多湿の沖縄で酒造りに使われていた黒麹菌です。黒麹菌はクエン酸を多く作る性質があり、黒麹菌による麹と他の原料を合わせて発酵させた「もろみ」は強い酸性になります。酵母は酸に強くアルコール発酵を進めることができますが、腐造の原因となる乳酸菌やそのほかの雑菌が繁殖しにくくなります。こうしてできたもろみはそのままでは非常に酸っぱいのですが、クエン酸は加熱しても揮発しないため、蒸留によってアルコールと香りの成分だけを集めて作る焼酎では問題ありません。明治43年にこの菌が見出されたことにより、腐造が起こりにくくなり、焼酎の品質も良くなりました。この菌を使った焼酎作りは大正8年には鹿児島県下全域に普及し、新しい技術を使った焼酎として「ハイカラ焼酎」と呼ばれました。

さらに、この黒麹菌の突然変異種である白麹菌(Aspergillus kawachii、アスペルギルス・カワチ)が発見されると、香り、味ともにソフトで軽やかな焼酎ができると評価され、昭和20年以降、ほとんどのメーカーで使われるようになります。一時は黒麹菌を使った焼酎がほとんど見られなくなりましたが、個性的な芋焼酎の需要が高まると黒麹菌も再び使われるようになりました。「黒〇〇」など、銘柄名の前後に黒が入っているものはこの黒麹菌を使ったものが多いので、お酒を注文するときや酒屋さんに行くときには着目してみてください。また、温度管理が容易になった近年では、黄麹菌を使った焼酎造りにチャレンジする蔵元も出てきています。

日本酒と麹

鰹節にも麹菌の仲間

鰹節づくりにも麹菌の仲間が活躍します。鰹節は、蒸したカツオの身を燻して乾燥させ、表面にカビをつけて作られます。鰹節の場合は「麹」を作るわけではないので、正確には麹菌とは言いませんが、他の麹菌と同じアスペルギルス属のアスペルギルス・グラウカス(Aspergillus glaucus)というカビが使われます。

このカビは脂肪を分解する力が強く、カツオの身に残った水分を吸収して保存性を高める、脂肪分を分解して脂質の酸化による味の低下を防ぐ、良い香りをつけるといった効果があります。カツオを煮ると脂が浮きますが、鰹節を煮出すと脂のない澄んだ出汁がとれるのはこのカビのおかげです。

医薬品や洗剤にも麹菌

麹菌は伝統的な発酵食品づくりだけでなく、医薬品や洗剤などの製造にも使われています。1894年に科学者の高峰譲吉が発明したタカヂアスターゼという薬は、麹菌から酵素を抽出したもので、胃腸の消化酵素の働きを補って消化不良の解消に役立ちます。この薬は世界初の酵素剤の特許で、現在も消化剤の原料として使われています。麹菌は酵素を作る能力に優れた「酵素の宝庫」であり、しかも長年に渡り発酵食品の製造に使われてきたことで安全性が保証され、研究も進んでいるなど利点が多く、この他にも様々な酵素の生産に活用されてきました。

また、遺伝子組み換え技術が発達すると、他の生物の遺伝子を麹菌に組み込んで酵素やタンパク質を作らせることも可能になりました。私たちの身近にあるものでは、洗濯洗剤に使われているアルカリ・リパーゼという酵素もそのひとつです。これはもともと、Humicola lanuginosaというカビが作る酵素ですが、この酵素を作る遺伝子を麹菌に組み込むことによって、工業的に生産することができるようになりました。

日本の「国菌」

麹菌は日本の食文化に密接に関わっているだけでなく、科学技術や産業の発展にも寄与し、日本にとって非常に重要で意義深い菌と言えるでしょう。このことから2006年、日本醸造学会が日本を代表する微生物として麹菌を「国菌」に選定しました。

日本醸造学会は、われわれの先達が長い間大切に育み、使ってきた貴重な財産「麴菌」をわが国の「国菌」に認定する。
(日本醸造学会「麴菌をわが国の「国菌」に認定する-宣言-」より)

麹菌を使った発酵食品は私たちの生活にすっかり溶け込み、スーパーの棚に、家のキッチンに、日々の食卓に、当たり前のように並び、使われています。普段何気無く口にしているこの“財産”を、今日はちょっと意識して味わってみてはいかがでしょうか。

※記載内容は筆者の個人的な見解であり、特定の商品または発酵食品についての効果効用を保証するものではありません。

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